公益財団法人 小佐野記念財団

第21回最優秀作品(中学校の部)

第21回国際交流・国際理解のための
小中学生による作文コンクール最優秀作品(中学生の部)

「心のつながり」

甲府市立東中学校 3年 本間 尊

 僕にはアメリカに特別な家族がいる。と言っても、血の繋がった家族ではない。母が若い頃、ホームステイした時にお世話になった人たちだ。それから毎年のクリスマスカードの交換、数年前からは e-mailの交換をしながら、もう二十六年もの付き合いになるそうだ。その間に母は結婚し、僕と妹が産まれ、毎年のクリスマスカードと一緒にお互いの写真を送りあってきた。二十六年前の三泊四日の出会いから、こんなに長い付き合いになるとは、母も思っていなかったそうである。オハイオの祖父母は、僕の本当の祖父母と丁度同じ年。以前は郵便局長だったそうだが、今は二人でのんびりと暮らし、教会のボランティアなどに参加しているそうだ。僕の家には写真がかざってあり、祖父母からの手紙は母が読んでくれた。まだ会った事のない人たちだったけれど、僕には身近に感じられる人たちだった。

2004年夏、僕たち家族はオハイオの祖父母に会いに行った。ミシガン州デトロイトで小さい飛行機に乗り換え、オハイオ州のフィンドレイという小さい空港に降り立った。長い旅だった。僕はとても緊張していた。オハイオの祖父母は空港の出口で、ニコニコしながら、僕たちを迎えてくれた。写真と同じ優しい笑顔だ。初めて会った人たちなのに、なんだか懐かしい気持ちになった。とても緊張していたのが、ふうっとやわらかくなった気がした。オハイオの家で過ごした三日間はあっという間だった。僕たちはずっと一緒に過ごした。僕たちのために、離れて暮らしている息子と娘の家族も集まり、BBQをしたりサッカーや野球をしたり、皆で写真を見たり、スーパーへ買い物に行ったり、楽しい時を過ごした。祖父は写真を撮るのが好きだ。僕の両親も同じだ。二人ともピザやステーキが好きだ。僕も大好きだ。共通点がたくさんあった。僕も妹も挨拶くらいしか英語はわからなかったが、祖父母の「楽しいひと時を過ごせるように・・。」と思ってくれている気持ちが伝わり、僕たちはとてもうれしかった。二人とも僕と妹を本当の孫のようにかわいがってくれた。祖父は僕に「君が生まれたときからずっと知っているんだよ。会いたかったよ。」と言ってくれた。僕はとても不思議な気持ちになって胸が熱くなった。正直なところ家族と一緒とはいえ、言葉もあまりよくわからない初めて会う外国の人の家に滞在させてもらうことは、僕はずっと不安で気が重かったのだ。でもこの祖父の言葉で気持ちがすうっと楽になったのだ。僕はお礼にピアノでカノンを弾いた。練習不足で失敗も多かったが、祖父母はとても喜んでくれて、僕はうれしかった。人とわかりあえる、心がつうじあえるって、どういう事なんだろう・・・。この旅が僕にその事を考えさせるきっかけとなった。母たちは長い年月をかけてこの暖かい関係を築いてきたのだろう。日本人だから、外国人だからという観念はなく、一人の人と一人の人の付き合いとして、大切にしてきたのだと思う。

僕たちは日本人、外国人といった枠でものごとを考えてしまいがちだ。でも人とかかわりあっていくのに、本当はそんな事は関係ないのかもしれない。一人の人として、相手ときちんと向き合えば、自分と同じところも違うところも見えてくる。それは日本人同士であっても、外国人であっても同じだ。そして相手のあるがままを受け入れ、そして自分のあるがままも認めてもらおう。そこからが心の交流の一歩になるのだと思う。日本人と日本人の交流ではなく、日本人と外国人の交流でもなく、人と人との交流として。

今、テレビでは連日北京オリンピックの映像が流れている。開会式では、知らない名前の国が多いことに驚いた。肌の色も顔つきも、使う言語も違う人々。喜びの表現の仕方も違う。それぞれの国に戻れば、それぞれの生活があるのだろう。違った環境で育ってきた人々が、たった一つのメダルをめざしてしのぎをけずる。これ以上ないすばらしい国際交流だと思った。僕は勝者敗者それぞれが、お互いをたたえあっって抱き合う姿に感動した。でもその時の選手たちの気持ちはきっと国の代表としての気持ちではなく、一人の人としてのうれしい気持ちや悔しい気持ちだと思う。人と人との交流、それこそが国際交流の原点なのかな、と思う。

僕に何ができるかわからない。まず、自分のことや自分の考えを言えるように、そして相手のことをきちんと理解できるように、英語力をしっかり身に付けたいと思う。そして僕なりの国際交流の方法を見つけていきたいと思っている。

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