公益財団法人 小佐野記念財団

第26回最優秀作品(中学校の部)

第26回国際交流・国際理解のための
小中学生による作文コンクール最優秀作品(中学生の部)

「私のホスピタリティ」

甲斐市立竜王北中学校 2年 大塚 千慧

 私は、この夏、アメリカ・アイオワ州でホームステイを体験した。アイオワの広大な平原に立つと私の夢は、私の想像をはるかに越えたもので、初めての経験の大きさに、ドキドキ・ワクワクする思いが常におしよせてきた。また、いつも山梨と比べて、そのスケールの巨大さに、放心状態になり、大きく口を開けっぱなしにして突っ立っている体験を、直に肌で感じ、触れることができた。

 私にとって、一番の驚きは、「人」だ。それは、現地の同年齢の人たちが、誰とでもすぐに仲良くなれることであった。日本人でもそうかもしれないが、「明らかに何かが違う!」「何だろう?」私が参加したホームステイは、甲斐市とキオカック市の姉妹都市交流によるもので、いろいろなホームステイ先と、たくさんのイベントが用意されていた。中には、現地のホストファミリー同士が企画した手作りイベントもたくさん用意されていた。いつも食べきれないたくさんの手料理にもまた驚くばかりだった。どのイベントに参加しても、また、どんな場面でも、キオカックの人たちの「レディーファースト」の徹底ぶりにも驚かされた。それも小学生から大人まで、現地の男の人はすべて、ドアを開け、おさえたまま、私が通過するのをじっと待ってくれる。そして一言、「お先にどうぞ」と笑顔で声をかけてくれる。

 つぎに驚いたことは、初対面でも、あっという間に誰とでも仲良くなることができる魔法のような力を持っていることだ。始めは、「いたずらかな?」と思わせるように私の肩をトントン・・・。振り向くと、そこには知らん顔したひとが・・・。それも、視線を合わせないような素振りでそこにいる。「犯人はあなたでしょ?」と何も言わず、私が見つめるだけで、顔いっぱいの笑顔で種明かし。いつのまにか、私の親友が当たり前のようにそばにいる空気感がそこにはあった。しかし、ふと気がつくと、やはり私は日本人。カメラを向けると、顔いっぱいの笑顔や変顔で笑わせようとする現地の友だちがそこにいる一方で、人と接することが恥ずかしいことだと自己暗示をかけている自分が恥ずかしいと思う気持ちがいっぱいになっていくことに気づいた。「このギャップは何だろう?そうだ、心の壁なんかぶっ壊して、思いっきり自分を表そう!」とやっと自分の気持ちを吹っ切る勇気にあふれていた。そして、今まで恥ずかしいから絶対にやらないと思ったことでも、私にもできることに驚いた。意外に簡単だった。

 現地の友だちの様子をよくよく見ていると、単にふざけあっているようにも思えるのだが、やはりこれには何か違いがあるように感じ、よくよく思い起こしてみた。それは、私にゆっくり、わかりやすく発音してくれたり、なるべく簡単な英単語を選んで話そうとしたり、それでもダメなら身体全体を使って大きなジェスチャーをしてみたり・・・・。私への何気ない思いやりを全身で投げかけていたことば。私は、あふれる思いやりのシャワーを浴びて心地よい気持ちに浸れる感激でいっぱいだった。

 最後に、キオカック市の誰もが、地元を愛し、自分が暮らすキオカック市をだれよりも大切にし、誇りに思っていることだ。私は甲斐市をこれほどまでに誇りに思い愛しているだろうかと考え込んでしまった。キオカックの地元チームの野球の試合を観戦した時、その応援の熱狂ぶりに、私も、以前からずっとキオカック市民として必死に応援しているかのような錯覚と一体感があった。

 キオカックでのわずか二週間ほどの体験で感じたことのすべてにやはり、「人」がかかわっている。形や行動などで示す「マナー」は、相手に不快感を与えないための最低限のルールだ。しかし、そこに「心」が加わると、「思いやり」となる。深い心地良さが加わることで、信頼や信用、安心感や絆が生まれ、真の「ホスピタリティ」となる。私は、また辞書をめくり、私の一生のキーワード、「ホスピタリティ」の意味を何度も見返すだろう。そのたびに、キオカックでのこの体験が鮮やかによみがえることだろう。

Copyright(c) 2013 The Osano Memorial Foundation. All Rights Reserved.