公益財団法人 小佐野記念財団

第21回最優秀作品(小学校の部)

第21回国際交流・国際理解のための
小中学生による作文コンクール最優秀作品(小学生の部)

「おじいちゃんの四人目の娘」

都留市立谷村第一小学校 5年 上村麻友

 私のおじいちゃんのことがネパールのネウール族の新聞にのった。その内容は、「ネパールの教育にこうけんしたボランティアヒキバの会員、広嶋義宣さんがなくなりました。ごめいふくをお祈りします。」と言うものだった。

ある日学校からおじいちゃんの家へ帰っていつものように「ただいま。」と、言って家に入っていった。すると、はだが黒く青色の民族いしょうを着た女の人が、「ナマステ。」と、私の目の前にあらわれた。笑った顔には、白い歯が光っていたのが印象的だった。こんな近くではだの黒い人を見たことがなかったので、おどろいてきんちょうした。小さないとこたちはその人としたしげに遊んでいた。しかし私ははずかしかったり、少しこわかったりで自分から声をかけることができなくて一人で部屋のすみにいた。そんな自分がもどかしくて、さみしかった。

その女の人の名前はスニタだ。スニタはネパールで学校の先生をしている。日本の学校について勉強するために、日本に来たそうだ。三ヶ月間おじいちゃんの家でホームステイをしながら小学校や中学校で勉強している。初めはなじめなかった私も日がたつにつれて、だんだんスニタと気持ちがわかりあえるようになった。

スニタがネパールへ帰ってから数年がすぎた。今年の三月、おじいちゃんが、病気になってしまい病院に入院することになった。それを知ったスニタがネパールで心配して、「おとうさんの びょうきは どうですか。」と、電話をかけてきた。おばあちゃんのボランティア仲間が何人か集まって、スニタが日本に来る航空券をプレゼントしてくれた。そしてスニタは日本に来ることができた。

日本に来たスニタは、「わたしは もう にどど にほんにこれないと おもった。」と、なみだを目にうかべながら言った。それを聞いて、私はそんなに都留や日本が好きなんだ。自分たちのことをそんなに思っていてくれるんだと感動した。今回は、おみやげとして黄緑色の民族いしょうのクルタをもらった。うれしくて、その場で着てみたらピッタリだった。私の体のサイズも好きな色もわかっているんだと心があたたかくなった。

日本に来てからスニタは、おばあちゃんがおじいちゃんのかん病をできるようにと家の手伝いばかりをしていた。おばあちゃんの友達がスニタを富士五湖へ観光のためにつれていってくれたが、スニタは、「おとうさんが しんぱいだから。」と、途中で帰って来た。

スニタが来てから数日後におじいちゃんは死んでしまった。みんなが泣いた。私も泣いた。スニタも泣いた。何回も泣いていた。私もスニタもみんなも悲しい気持ちでいっぱいだった。

その二日後スニタは帰国することになっていた。朝駐車場で別れる時、おばあちゃんとだきあって泣いていた。なかなか車に乗ろうとしなかった。おじいちゃんとはなれるのがさみしいのかなあ。おばあちゃんが心配なのかなあ。そんなスニタを見ていたら、スニタはおじいちゃんの本当の子どもになっていたのだと感じた。

おじいちゃんは地域の仕事を任されていた。きっとみんなから信らいされていたからだ。お弁当配達のボランティアもやっていた。困った人を助けるやさしい心の持ち主だ。そんなおじいちゃんが風といっしょに空へ登っていってしまった。心にぽっかりと穴があいたようだ。

しかしおじいちゃんは、自分のかわりに一人の家族を残してくれた。それがスニタだ。スニタはネパールに帰ってしまってすぐに会うことはできないけれど、私達の大切な家族の一員になった。おじいちゃんのように優しくまじめで、一生けんめい仕事をするスニタはおじいちゃんの四人目の娘だ。

Copyright(c) 2013 The Osano Memorial Foundation. All Rights Reserved.